サッポロ シティ フォーカス

the sight where I met the unconscious of a city, which was crossing the city consciousness.

鎮魂歌

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この写真は、昨年2007年の昨日、9月29日の「平和の滝で」す。札幌市の西区西野の奥にあります。

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身辺に大きな出来事があって、このところ撮影を控えています。以前撮った写真を、ぼんやり眺めてはいます。

当事者として覚えておきたい出来事だったので、後の日のために書きます。通常は、あまり公にはしない領域のことかもしれません。けれど、日々が過ぎるうちに、今の気持ちが薄らぐことの方が怖いように感じています。

「鎮魂歌」

山深い病棟。肺炎の湿地帯。

息を増やし速め、何かを凝視し続け、手を握り締め、体に力を入れた九十歳の闘い。

街では北海道マラソン。森の奥、旗を振るのは、五十歳をとうに過ぎた子供達。

白いベット。白い枕。白い布団。顔を覆う酸素吸入器。腋にはアイスノン。腿に点滴。

白い看護師たち。鼻孔に差し込まれる管は長く細い。肺は、こんな奥・・・。体に湧いた沼を吸い上げる窄痰。窒息の防御は、こんな辛さと痛み・・・。

「今日か、明日です。」医師の言葉。

夫と子と孫に尽くし、家を整え、美味な料理をつくり、花と野菜と樹を育て、愛犬に寄り添った人生。その終わりがこの苦しみ?

闇の木々の底。明け方の冷気。体温38度。朝日にきらめく葉ずれ。脈は90。血圧110−70。酸素吸収97%。

「がんばってるなー。」子の声は、夫の声。「はいよー。」という力強い親の返事。これが、最期の言葉。

「少し楽にしますか?」と、点滴に配合されたわずかの薬の投与。みるみるうちに青い石のようになってゆく夫の母。「止めて下さい!」もう辛さから解放してあげたいとは願ったけれど・・・。こんなに唐突に?

冷静に手当てを続ける看護師。息が吹き返る。手を握り返すことはなく、体を頼りなく床に預け、うめきさえ消えるなか、家族三人の溢れる想いが、母の目に浮かんだ。

水をとりこめなくなった細胞から、液体が滲み出て足が腫れ上った冷たい足を摩る。いくどか温まり、いくぶん皺がもどる。

「もう一度よくなって・・・。」

けれど、熱と呼吸困難が、潮の満ち引きのように繰り返され、九十年の日々を飲み込んで、希(のぞみ)が、海の向こうへ遠のいていった。心をゆったりと配りながら、夫の姉夫婦達が、静かに母に寄り添ってくれた。

晴れ渡った秋空のもと、義母は、小さく優しくまなざし、かすかに微笑みながら、老いを敬う日の九月十五日に他界した。

天の国があってほしい、と思った。それぞれの宗教観を胸に、家族葬での見送り。空が高い日。

朝、目を覚まし、ご飯を頂き、仕事をする毎日の生活が、当たり前に始まった。

ささやかな祭壇で、花と一緒に深い笑みを開いている写真の人の、苦難と安らぎが、秋の日に、白く、くっきりしてきた。