FULL UP
北大医学部前の銀杏並木が、すっかり黄葉したとの道新記事を読み、通勤前に立ち寄った。
若い女性がシャッターを押しながら、会話している。
「キレイー!でも、撮ってみるとそうでもないのよね。」
「本州の桜って、これが全部ピンクなのよね。」「そうそう」
美意識は、純粋なものへ動くという事なのか・・・。空間を占拠する華やぎ。
銀杏のやや奥に植えられている黄色のもみじもまた、風景に深みを与えているとおもうのだが・・・・。
埋め尽くすということから生じる美。この並木は、350メートルほどあって、量を感じる。同一の感覚で取り囲まれる。
大通西7丁目の銀杏もほぼ同じ色なのだが、こちらの幅は、50メートル。
大通公園で黄葉しているのは、銀杏だけではなく、このユリの木など幾種類もあるが、多くは点在している。
しかし、打ち合わせ等で、他社に向かう時など、一本華やぐ木があれば十分かもしれない。公園の一輪ざし。
大通公園に面した会社で働く人にとっては、ちょっとした目の保養になっているのだろう。
ところで、先の女性も話していたが、枯葉の赤や黄色の輝きは、写真にすると平板になってしまう。あふれていた対象と、自分の間に生じた何かが消えているような感じがある。
地下街では、さっぽろ菊まつり。金賞の花の色もまた、純粋な黄色。つくりもののような自然の美をみていると、形状の規則性に理性が見えて、落ち着く。純色、同一の形状の、安心感は、つまらないとも言い切れない。「美」とはどういう認識なのか、思い込みを捨てて再考してみたいと思う。