舞台装置
札幌市教育文化会館3階が、札幌広域還付申告センターになっていて 最終日の今日2月25日にでかけました。昼休み時間にも関わらず、三人ほどの列。すぐ前でお母さんに抱かれていた赤ちゃんがピタッと目と合わせて来ました。笑いかけているうちに提出する番に。
一階ホールの光るタイルと吹き抜け。娘の発表会で慌ただしく駆け込んだ時の、緊張感に満ちた晴れやかな空気を思い出しました。
会館前の彫刻「洋」笹戸千津子作。振付を懸命に辿る事が、見るものをある想いに至らせる不思議を思い出しました。想いをひとまず横においてなすべき事を積み重ねるのが日常。ある想いに自分の動作を振り向けてゆく表現には、日常の暮らしとは違う場所が必要なのでしょう。
教育文化会館の周囲には、非日常の気配があるような気がします。無意識のどこかが揺さぶられます。西側には、北1条教会、UHBがあり佇まいに奥行きがある街区です。
旧厚生年金会館現在のニトリホールを超えてすぐ東の日本出版販売(株)北海道支店社屋は、時計台周辺と並んで1983年に、第1回都市景観賞を受賞しています。
浮つきを鎮める地の塩、東側の裁判所。
南側の札幌資料館も昔は控訴院。社会の重しがしっかり存在している場所でもあります。
教育文化会館では、演劇、各種演奏のほか、シンポジウム、教室が開催されています。教育とは、自ら学んだと錯覚させつつ、自分が他者に教える時、親や先生から教えてもらった事実に気づけるようにする事だと夫はいいます。
雪だるまが溶けかけた跡でしょうか?今朝、長期の記憶と、短期的な記憶の混乱についての笑話を車中、ポットキャストで聞きました。記憶のとどまり方は、こんな具合かもしれません。作られた当初の意味表現の形状が、感情という熱で歪んでしまう・・・。
熱を冷ます、軽やかな知性が、行いを整えてくれる時があります。ともかく冷静になれ、と息子に説いていた父としての夫の想いを想います。先日、同じ子が勤させていただいている会社上司の御指導や他社の御協力で成就できた仕事の報告を、夫に電話してきました。
先日、道のない道を、通学していった私の後ろ姿をよく思い出すと父が話してくれました。冷静さと知性は、私の所有物ではないけれど、共に居てくれている時があります。
職場から北1条西13丁目の教育文化会館まで5分少し歩き、子供たちに何かを伝えておきたいという想いにかられました。しかし、子供達は、それぞれが関わる世間の中で素直に学び、精一杯社会生活を営んでいます。言うべき事はもうすでに言い終えているのかもしれません。祈りつつ、離れたところから見守ってゆきます。