サッポロ シティ フォーカス

the sight where I met the unconscious of a city, which was crossing the city consciousness.

「裁きの場」をあらわす

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 日曜日、札幌時計台に行ったためか、札幌資料館へゆきたくなった。少しでも、札幌の歴史に編み込まれた事柄を感じ取りたかった。

知らなかったが、「資料館をアートする」が開かれていた。フライヤーには「Artistとして物事の歴史と自分自身を含めた様々な文脈を解釈することはもっとも基本的な事である。それが出来ない以上はProfessional Artistとしてはスタートラインに立つ事ができないと言っても過言ではない。『資料館をARTする』の真意は、資料館の文脈をARTを通して個々の作品に如何に反映させるかである。それはつまり、この場所でしか出来ない事や意味を持たない事を実現できるかである。そうしなければ、ART本来の役割と責任が消えてしまう。」とあった。

厳しい見解だが、Artがこのようなものであれば、是非見たいと思った。

入り口の作品は、村元崇洋さん

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キャプションには「現代の日常にある物や埋もれる製品、それらが塊となって現れる時、歴史ある建物の厳かな雰囲気と交わり非日常的な空間が生まれる。」とあった。プラスチックの物干しとシャンデリアが、形状や吊り下げられる位置で呼応しつつ、毎日見上げるユーティリティの光景と旧裁判所が地続きになる。自分は何を洗い流し何を清めてきたのだろうと思った。

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入ってすぐの階段下には南国植物のドライフラワーが飾られ、i螺旋階段に投影されているのは沢山の目。いけばなは西村孝子さん。映像作品は冨田哲司さん。まなざしの向こうにステンドグラスがあった。命がなくなっても命の形を残したものの上で、目が閉じられたり開いたりしていた。私たちは、多くのまなざしのもとにあるとき、このようであるのだろうか?

 

 

 

アート展示がなかった場所もある。刑事法廷展示室だ。見おろすことへの畏れを感じた。

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北側階段を上ると、MIN×MINさんのインスタレーション。個と個の繋がりを無限大∞の形で表し、リサイクルできるプラスチック素材で、南側階段のカラー作品とも関連させて資料館全体を大きなLOOPとして表現しているという。ふと、窓を資料館と外を繋ぐ装置として意識した。

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階段をのぼると、展示されていたのは川上りえさんの作品「Mirror to Sense the Truth。」

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川上りえさんのキャプションには、「資料館の装飾品である鏡は、『真実』を象徴するものです。控訴院という場と、それを担うために建築された建物にあって、鏡の担う意味は、深いものだと思います。

 

 

 

 私は、控訴院の鏡を彫刻で表現したいと考えました。当初、鏡を取り囲むフレームを彫刻展開することを考えていましたが、表現素材の鉄と向き合っているうちに、鏡そのものを彫刻に変換しようという考えに至りました。本来薄く脆いはずの鏡は、私の描くイメージの中で、厳粛に静寂を保つ面と、混沌として移ろいの面との表裏一体で存在する、石碑のように分厚く重い塊の形をなしてゆきました。

 

 

 

 この鏡は、その前に立つ者を映すことはなく、また、人を裁くものではありません。控訴院の鏡は、目隠しをした正義の女神に代わり、人の心に潜在する真実を見定めるものと解釈しました。しばしの間、ここに映り込む自身の「心」を想像する時間を持っていただければ、この鏡(作品)の力が発揮されているものと信じます。」120117z

 

Mirror
to Sense the Truth
。」を前にして、この川上さんの言葉に付け加える言葉は、何もありませんでした。

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そして、遠友学舎の展示に入りました。ここについては、サッポロ シティ フォーカスPART?で。

 

 

さて、次の作品は、シャッターを押すのが怖かった。引いて撮った。Morgan Wongさんによるもので重大な事件の載った新聞記事を撮り、それを加工して分からなくし、物事の風化を表現した展示。

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次は、キャプションを読んでからドア向こうに入った。120117j_2


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途中、障害を得たこどもたちと引率者の方々が入られた。しばし一緒に見入った。

 

 

 

4,5はその時たまたま人が多くて通り過ぎた。失礼しました。

2階は、逆周りしてしまった事に気付く。ただ、振り返るとこれでよかったかもしれないと思った。

 

 

奥の部屋は、手前は、藤沢レオさんの作品。「一方に正義と一方の正義の間に矛盾はないのか」と問う酪農家出身の若い知性は、不思議なバランスを提示し、眺めるための皮椅子を置いた。

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一番奥は、石川亭信さんとNukillizoさんの作品。裁判所を訪れることになった人々の心模様のようにも感じられ距離をおいて撮った。どこにでも、荒ぶる心はふいに立ち上がることを思い知らされる気がした。

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階段をおりると、熊澤さんと川上りえさんの作品が展示されていて安らぎを得た。

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最後に街づくり展示室へ。

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そこで、18日のイベントに参加してくださり、岩佐明彦先生に御質問しておられた方をお見かけした。知らない方なので、ちょっと迷ったが、なにしろその時話題にしていた大通公園の歴史展示の前。思い切って、お声かけさせていただいた。

結果的に、長い立ち話になった。札幌に以前住んでおられたが、今横浜。明日帰郷とのこと。貴重な時間をありがとうございました。横浜も明治以降できた街なのだと伺った。

地下歩行空間の広場に編みこんだ服を敷き詰めるという、なんとも違和感と温かみのあるイベントに関わった方と話が通じたのは途中出てきた「クレオール」という言葉だったようにも思えた。

もっとも「資料館をアートする」を見て回って、自己を他者の関わりについて、感覚が開いていたためかも知れない。アートについては案内もあるのできっと御覧になられると思い、敢えてお薦めたしたのは遠友夜学校記念室。

 

それにしても、不思議な一日だった。