ななめから表現する。
今日は、先週末7月27日に撮った旧大通小学校(明冶22年7月15日 北1条西4丁目に札幌女子小学校として開校、大正6年大通西11丁目に移転。平成15年度、資生館小学校に統合。)の周辺写真によって、表現について考えてみた。
自分の知識の限界性を知った上で、ごく普通の語りかけができる事は大切だ。だから、まず、正面から、一般的に知られている知識を得て、取材する。
近づき得たものの手触りを確かめ、
かなたの実在を周囲の色合いから、判別する。 実際に、歩いて確かめると違う角度から、違うものも見える。時間によって、光の当たる場所も変わる。評価のようだ。 こうして写真でみると、その差は微細だが、日常、他者のわずかな変化に対応しながら生きる人間にとって、その小ささを周囲と比較しながら知る風景になぐさめられる。 知らない世間は山ほどある。こうかと思いつつも、心も頭も白紙にできる人は、コミュニケーション能力が高いと思う。 その世間内部にしか通じない暗号めいた言葉で話すことが、その世界でいい働きをしているとは限らないと思う。 めだたない普通の生活を感じる場所をゆっくりたどると、 思いがけない繋がりを、景色の中ほどに発見したりする。 だから、近景がつくる角度を意識しながら、その先にあるものを表現して、共感できる事柄を増やしたい。