サッポロ シティ フォーカス

the sight where I met the unconscious of a city, which was crossing the city consciousness.

残された標識

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駅前百貨店がなくなって「赤レンガストリート」の名前がついた街灯が残っていた。被災地の話ではない。札幌の古い街並みを模倣した「西武百貨店」もと五番館跡地。

 

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西武百貨店もと五番館西武」を保存してほしいという想いを持っていた人は多いと思う。でも運動になったわけではない。私もなにか働きかけた訳ではない。一つには、とても素敵な建物だったが、歴史的に古い訳ではなく、私企業の所有物ということが大きいのかもしれない。駅前の地価一等地で、とにかく購入金額が高かったのだろう。しかし、それより、私含めて、自分の周囲の事柄であれば関心を持つが、札幌市全体となると意見を持ちにくい。事情をよく知らない人間が、なんのかんのというのは無責任のように思ってしまう。では、事情を知らなければ、発言できないのだろうか?ここは、歩道含めて札幌市の都市景観賞を取っていた。歴史的景観的価値のある構築物の解体に関して、法的な制限と保全への資金援助などは、ありえなかったのだろうか?

 

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3週間ぶりに主日礼拝を守った。下は、創成川沿いの、教会東側玄関。今日のお説教は、被災地を訪問されたA牧師。ドラム缶の上に雛人形をのせて、その前でずっと座っておられる方をお見かけしたという。忘れられない光景だったが、そうした身近で小さな被災地の話がもうあまり聞かれない。私たちは、今も辛い思いをしておられる人々について話題にしなくなっている。もう、記憶すらしりぞけようとしている。それは婚約中のマリア妊娠を聞き、そっと別れようとするのが正しい道だとするヨセフの人間としての想いと似ているという話だった。神様からの言葉はそれを超える。マリアとの結婚。自分の子ではない息子への名づけ権もない。しかし、それこが神の恵みだという。人間同士の間で生じる誤解、思い入れ、その間に神様は、イエスという赤子の形でこの世に生まれた。神様は、わたしたちより低い場所に、私たちがないがしろにしている位置におられるのだという。被災地の方々の苦しみを思うことは、神さまを思うことだという事にも・・・。

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A牧師は、洗礼を授けてくださった先生で、お説教を聞くと弱い人の味方になっているかという初心を省みることになる。この場所がなかったらキリスト教徒にはならなかっただろう札幌時計台に寄ることにした。

 

今日は、資料のあるコーナーへ寄った。「イエスを信ずるものの誓約」を読んだ。先週の「サッポロ シティ フォーカス」編集版をつくるさい気になっていくつかのことを調べた。新たに分かったこともあるが、また分からない事も増えた。そんな訳でまた後日・・・。

 

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しかし、何かが目の端に止まった。その写真はアップしたいと思った

サッポロ シティ フォーカPARTⅡへ。

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