冬への螺旋階段。
札幌の中心には、東西1キロメートルにわたる大通公園があります。
幅150メートル、全体で78901平方メートルの公園です。買い物で町に出てきた人も、街中の職場で休み時間をとる人も、観光にきた人も、ここに広がる芝生や豊富に用意されたベンチで、同じ時間を過ごすことになったりします。
大通西1丁目から13丁目まで続く公園の東の端には、テレビ塔があります。私の働く会社からみ た所は、このブログの10月25日にアップした「夜空のアラベスク」で紹介させていただきました。
西の端には、札幌市資料館があります。ギャラリーが併設されていて、主に、小規模な展覧会が開かれていることが多いようです。
きのう(11月10日)は、西11丁目で車から降りて会社へ行くことになりましたので、少し寄り道をして、札幌軟石で建設されたその建物を写真に収めることにしました。11月2日に「遠い日からの贈り物」でも取り上げた札幌の原点的建築に再度アプローチしたいと思ったのです。
だんだん近づいてゆくと、正面の屋根に、正視しにくいレリーフがあるのが目にとまりました。
これは、罪に問われた人でしょうか、罪を問う人でしょうか。ここが、札幌高等裁判所だったことを改めて思い出しました。調べてみると、どうやらいずれでもなく、ギリシャの法の女神で、目隠しは心の眼で見て私見をはさまないことを意味するようでした。けれど、何か不穏な感じがするのですが・・・。
人間は、そのままにしておくと、悪いことをしてしまう生き物だ、という考え方があります。一方、本性は悪くないのに、どういう訳か罪に至ることがあると、感じる向きもあります。私はどちらかというと、後者です。あらかじめ、自分のいたらなさや、他人の好ましくない傾向を想定して行動することは、少ない方のような気がしています。
世間には色々な人がいて、どちらの側により近いかの割合も様々でしょう。いずれの場合でも、悪夢のような出来事に巻き込まれることは、避けにくいのが広い世の中のように思います。
中には、犯罪に至ってしまう場合もあります。同じ人間に生まれて、法を犯し、悪いやつと断定を受けて、様々な制限を余儀なくされる人々もいます。逆に、他者の理不尽な行為によってひどい痛手や損害をこうむった方々もおられます。どのような経過をへて、そのような人生になかったのかと思うと、随分、悲しく寂しくなります。
だんだんこの重厚な建物に近づくにつれ、ここに関わらざるを得なかった多くの人々の濃い想いに胸が痛み、心が沈みました。
入り口に、天秤をもった女神像がたたずんでいました。小さいその形は、正しさを祈るように求めている姿にみえます。
螺旋階段。ここを上らざるを得なかった人々は、それぞれの自らの人生に深く思いをいたしたのではないでしょうか。
館外へ出て振り返ると屋根の下に、鏡でしょうか、円いレリーフがみえました。