サッポロ シティ フォーカス

the sight where I met the unconscious of a city, which was crossing the city consciousness.

AFFOREST

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線路向かって右側が、北大構内の緑、左側が北大植物園(8月19日JRタワーから撮影)。都心にあって大切な緑地帯だと思う。

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「戦敗かならずしも不幸にあらざることを教えます。国は戦争に負けても亡びません。実に戦争に勝って亡びた国は歴史上けっして少なくないのであります。」

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・・・明治四十四年(911)10月講演ののち翌11月「聖書之研究」第136号に掲載された文章内村鑑三著「デンマルク国の話」より。今年2007年5月に岩波文庫から、第83刷が発行されている。

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樹木と川の関連について、父に話を聞いていると、敗戦国デンマーク工兵士官ダルガスによる領土のユトランドの話「荒地に水を漑ぐを得、これに樹を植えて植林の実を挙ぐる。」を内村鑑三が紹介した文庫本を読むように勧められた。

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以下は、岩波文庫「デンマルク国の話-信仰と樹木をもって国を救いし話」から引用。

「植物界広しといえどもユトランドの荒地に適しそこに成育してレバノンの栄えを呈わす樹はありやないしやと彼は研究に研究を重ねました。しかして彼の心に思い当たりましたのは、ノルウェー産の樅(ドイツトウヒ)でありました。これはユトランドの荒地に成育すべき樹であることはわかりました。しかしながら実際これを試験してみますると、思うとおりには行きません。樅は生えは生えまするが数年ならずして枯れてしまいます。ユトランドの荒地は今やこの強硬なる樹木をさえ養うに足るの養分を存しませんでした。

しかしダルガスの熱心はこれがために挫けませんでした。彼は天然はまた彼にこの難問題をも解決してくれることと確信しました。ゆえに彼はさらに研究を続けました。しかして彼の頭脳にフト浮かび出ましたことはアルプス産の小樅(ヤママツ)でありました。もしこれを移植したらばいかんと彼は思いました。しかしてこれを取り来りてノルウエー産の樅のあいだに植えましたときに、奇なるかな、両種の樅は相ならんで生長し、年を経るも枯れなかったのであります。」81ページ

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「樅はある程度まで成長して、それで成長を止めました。・・・黙示は今度は彼に臨まずして彼の子に臨みました。彼の長男をフレデリック・ダルガスといいました。彼は父の質を受けて善き植物学者でありました。彼は樅の成長について大いなる発見をしました。

若きダルガスはいいました。大樅がある程度以上に成長しないのは小樅をいつまでも大樅のそばに生やしておくからである。もしある時期に達して小樅を切り払ってしまうならば大樅は独り土地を占領してその成長を続けるであろうと。しかして若きダルガスのこの言を実際に試してみましたところが実にそのとおりでありました。小樅はある程度まで大樅の成長を促すの能力を持っております。しかしその程度に達すればかえってこれを妨ぐるものである、とも奇態なる植物学上の事実が、ダルガス父子によって発見せられたのであります。・・・1860年においてはユトランドの山林はわずかに15万7千エーカーに過ぎませんでしたが、47年後の1907年にいたりましては47万6千エーカーの多きに達しました。」82-81ページ。

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内村鑑三は、札幌農学校二期生。