サッポロ シティ フォーカス

the sight where I met the unconscious of a city, which was crossing the city consciousness.

磊落

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朝、会社まで車で来る途中の北大農場で牛が横になっている。道なりにライラックが咲き始めていた。遠くの札幌都心と共に撮れないだろうかと夢想した。昼、近くに住む高齢の父母に買い物を申し出て外出し、撮影の時間を確保したが、牛は牛舎に向かっていたし、ライラックに焦点をあてるとグラフォートとJRタワーは霞んだ。

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「都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂ふ宴遊(うたげ)の筵(むしろ)

尽きせぬ奢に濃き紅や その春暮ては移らふ色の夢こそ一時」

という東京に対して、

「青き繁みに 燃えなん我胸想ひを載せて

星影冴かに光れる北を

人の世の 清き国ぞとあこがれぬ」

と歌った学舎を、赤紫のライラックが縁取っている。20120522c

 都会が学舎に迫っているのか、学舎が都会になっているのか、聞いた話では北大の中でほとんどの用が足りるので、学校内から出ないで研究を続けてゆけるらしい。それはそれで心が分散されず充実した知的営為が積み重ねられるだろうと想像した。20120522f

同等に語ってしまっては不遜だが筆者もこれまで購入した本で、仕事も趣味も事足りている。気持ちが内向きになってはいる。表層の出来事に振り回されたくはないが、現状の花に満足して奢ることなく仕事をしたい。

 論理を大切にし豪放磊落な気分でいると、息子が撮った私の写真は男優のT.Y.に似ていた。昔、夫が「ライラックは少し繊細さに欠ける」と話していた。強い木である事は確かだ。庭のライラックも足元に次々と芽が出てほどなく根も幹の強さになり容易には抜けなくなる。

 ニュアンスや繊細さにこだわらなくなると随分と心が安定するが、他者からはただ単にシブトイヤツでしかなくなるのかもしれない。

 しなやかでしたたかであるかどうか、ぺちゃんこにされてもまたほどなく起き上がっているかどうかの自意識も横において、豪放は無理だしなれないしそこまで男っぽくなりたくはないが、磊落ぐらいになら思われていていい。ところで、磊落(らいらく)は単独で使う言葉だろうか?言葉が葡萄のように繋がってきたライラックの日。20120522r 20120522o20120522e_220120522a