『智恵子は東京には空がないと言ふ。ほんとの空がみたいと言ふ。』彫刻家高村光太郎は妻のうったえを詩にしています。
それは、広さのことなのか、青さのことなのか。
それらに象徴される広大な受容感のことなのか・・・。
「札幌には空がある。」と思っています。
札幌都心で働き始めてしばらくした頃、空は遠くにあるように見えるけれど、地面まで続いていることに思い至り、やけにうれしくなりました。
ビルの垂直な線によって、空が地面まで続いていることに気づいたのだと思います。それからは、空の奥へ続く深さも、際立っているように感じられるようになりました。
郊外では、野原の広がりの向こうに空の大きさを実感します。今、サッポロで、空の水平と垂直、両方の奥行きの中を歩いています。