サッポロ シティ フォーカス

the sight where I met the unconscious of a city, which was crossing the city consciousness.

「敵国の木」

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ライラックは、北1西6に官舎の馬小屋を改造して女学校をつくったスミス、サラ・クララが故郷のアメリカから持ってきて植えた。

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昭和62年6月25日札幌市教育委員会発行、さっぽろ文庫41「札幌とキリスト教」には、彼女についてのページがある。以下の文は、その256~257ページからの引用。

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「ニ十二年(明治)、学校を拡充して専念する決意を固め、校名をスミス女学校と定め正式に学校として届出を出した。しかし、自ら校長とはならず経営責任と伝道・教育実務に身を挺した。」

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「己の生活は質素検に徹しながら、地方から修学する生徒には寄宿舎の費用を少額にして便をはかり、なお幾人かの奨学生を育て、時の新聞に教師の模範として讃えられた。」

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「苦心談を求められても『神と自分とだけの交渉であるから』と言って面を伏せるのみであった。」

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が、北大植物園や北星学園のように、札幌に残る良いものの中に、宮部金吾スミス、サラ・クララの働きを思い起こすことぐらいは許されるだろう。(写真は、宮部記念館とサラが植えた原木。)

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サラ・クララは、昭和6年に帰国。昭和22年カリフォルニア州で生涯を終えた。

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このような立派な方が、キリスト教徒だと読んでしまうと、凡人の私がキリスト教徒になりたいなどと、おごがましくて、言ってはならないようにも思える。