大都市の一角が、原生林のままなのは不思議な気がする。
戦後は、ここに道路を貫通させる動きもあったようだが、断固拒否して植物園を守った方がおられたようだ。
昭和62年6月25日札幌市教育委員会発行、さっぽろ文庫41「札幌とキリスト教」には、二十七年間園長だった宮部金吾と内村鑑三の友情について次のように、書いてある。「二人の友情が生涯続いた理由の一つは、入信後、夕べの祈りを「汝祈る時は、密室に入り戸を閉じ、隠れたるにいます汝の父に祈れ」との聖句を守り、ひとりが祈り終えて戻った時、まだ祈り居る友の姿を見たことだと内村は語った。