札幌の歴史的建造物
「風のある夜だったが、僕は彼と日本人のあとをつけて、暗い横町をいくつも通り抜けた。そして、二人の会話に耳をかたむけ、デーミアンの声の響きを楽しんだ。」
「風のある夜だったが、僕は彼と日本人のあとをつけて、暗い横町をいくつも通り抜けた。そして、二人の会話に耳をかたむけ、デーミアンの声の響きを楽しんだ。」・・・昭和46年第1刷講談社文庫、秋山英夫訳ヘッセ作、「デーミアン」より引用。 家族と社会…
建築物が建てられたのち、庭がつくられると思い込んでいたら、明治の初めは違っていたようだ。 偕楽園は、1871年(明治4年)造成。清華亭は、1880年(明治13年)建設。
クラーク会館までたどりつくと、木々の向こうに夕日が沈むところだった。
豊平館内のティーサロンの入口。光がやわらかく、あたっている。
豊平館内のティーサロンの入口。光がやわらかく、あたっている。 館内の階段でも、昔ながらの照明が、空間を磨いていた。
Tout ce qui est cache apparaitra au grand jour,
昨日(1月19日)夕刻、頂いたお仕事のためのインスピレーションを得るべく、中島公園内の豊平館を訪ねた。
昨日(1月19日)夕刻、頂いたお仕事のためのインスピレーションを得るべく、中島公園内の豊平館を訪ねた。 薄い瑠璃色の縁取りで、鳩が安らいでいた。館内の外壁塗装(ウルトラマリンブルー)についての説明を読む。
SILENT COLOR・・・。
古い建築物の保存には、大きく分けて、二つの方法がある。
古い建築物の保存には、大きく分けて、二つの方法がある。一つは、同じ場所で、残すやり方。 (周囲は大きく変化していることが多い。) 二つ目は、建てられた当時の状況に類似した場所で立替えるやり方。(この場合のデメリットは、そこに建つ歴史的必然性…
中島公園にある豊平館は、かつて札幌市の中心部にあった。
高く上げた理想は、日々の中で薄らぐ。
高く上げた理想は、日々の中で薄らぐ。 時計台という札幌の原点に行って、ビジョンは落ち込んだ時、巻きなおすもののように思えた。
札幌時計台の時計は、豊平川の石を積んだ錘が重力で下がってゆく力で動いている。 (写真は、ほぼ同じ構造で動いている時計を館内に展示してあるもの。一番後ろが錘。) こちらの写真は、館の西側で仕組みを放映している画面。
札幌時計台の周囲。背の高い木々は移設当時から?
札幌時計台の周囲。背の高い木々は移設当時から? 木々のことはわからなかった。演武場がかつてあった場所(北2西2)に、史跡があるという話は、今日の夕方確認しに出かけた。
札幌時計台。外からは、眺めるための建物のように、かわいらしい。
札幌時計台。外からは、眺めるための建物のように、かわいらしい。けれど、建物内部を歩くと、しっかりと役割を果たしていた歴史に取り囲まれた。厳粛な室内だった。
明治9(1876)年、北1~2 条西1~2 丁目に開校。
昨年写真を撮り始めた頃、向き合うと心が和むものに焦点をあてていった。
昨年写真を撮り始めた頃、向き合うと心が和むものに焦点をあてていった。札幌軟石で作られた倉庫もその一つ。昨年の方が、気持ちがこもったアングルだ。グーグルでも、幾度となく検索された。今年は、こうした建物が、どのような環境下にあるかを撮ろうと思…
土の下で、じっと日々を過ごしていた やわらかみのある色調。柔和な姿・・・。
土の下で、じっと日々を過ごしていたやわらかみのある色調。柔和な姿・・・。アスファルトを少しずつ、剥がしたようだ。昔の橋と思われる建造物が、横たわっていた。詳しくは、サッポロ シティ フォーカスPART?で・・・。
創成橋の解体作業が進んでいる。先週末、欄干が撤去され、その下のアーチ型の橋が見えていた。
木から生まれた住まい。明治10年代前半、旧薩摩藩士永山武四郎が、屯田事務局長時代、私邸として建築。
木から生まれた住まい。明治10年代前半、旧薩摩藩士永山武四郎が、屯田事務局長時代、私邸として建築。 サッポロファクトリーの東側。ひっそり姿を整えられた木々。 ひかりの庭。 見知らぬ子供たちを、住人に見せてしまう家。 玄関で見守る母子像。 ・・・静…
札幌時計台の北側には、その名前を冠にした施設が、いくつかあります。
札幌時計台の北側には、その名前を冠にした施設が、いくつかあります。 階段を下りて入る札幌時計台ビル。 階段の先に、また階段。 のぼって、見上げると時計台ギャラリー。